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『ロミオとジュリエット』は悲劇だったのか?ファントムとの結末を比較して感じた愛のカタチ

『ロミオとジュリエット』は悲劇だったのか?ファントムとの結末を比較して感じた愛のカタチ 宝塚コラム
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恋愛悲劇として有名な、シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』

同作品を基としたミュージカルは、フランスで2001年に上演されて以降非常に人気となり世界各国で上演、日本でも小池修一郎氏潤色・演出にて何度も上演されています。

そして、その人気は、宝塚歌劇でも。
星組・雪組・月組にて再演されるほどの人気ぶりです。

 

さて、この『ロミオとジュリエット』ですが先述の通り恋愛悲劇とされているわけですが、「果たして本当に悲劇なのか?」という想いを持っています。

というのも先日観劇した『ファントム』…..その描かれ方が自分の価値観に一つ投げかけをしてくれ、その様な疑問を持ち始めました。

 

今回はロミオとジュリエットは悲劇だったのか?という考察を綴ります。

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悲劇的な愛、ロミオとジュリエット


さてロミオとジュリエットですが、大きく分けて前半部分は明るく、そして後半部分から絶望へと進むような内容です。

ヴェローナの街で長年対立している(モンタギュー家とキャピュレット家)2つの名家。
ある日開かれたキャピュレット家の舞踏会に忍び込んだ、モンタギュー家の後継者ロミオはキャピュレット家の娘であるジュリエットに一目惚れ、そしてお互いに強い愛を募らせます。二人の結婚など許されないと自覚している二人は、個別に修道士に結婚式を執り行うように依頼し、二人はめでたく結婚。

 

と、ここまでは良かったのですが2幕に入ってから段々と雲行きが怪しく…。

 

ジュリエットに密かに恋い焦がれていたキャピュレット家側のディボルトがロミオに決闘を申し込むものの、その場のいざこざからディボルトがモンタギューのマキューシオを殺め、そしてその場にいたロミオはディボルトを殺め…。
両家が再び抗争状態になろうとしていたところ、ヴェローナの大公はロミオの追放を決め、ロミオは絶望のまま街を離れます。ロミオがいなくなったジュリエットが親によりパリス伯爵と結婚させられようとなりましたが、拒否。
仮死状態になる薬を飲み死んだことにし、目が覚めてロミオを探そうとします。
が、ロミオに伝わってしまったのは「ジュリエットが死んだ」ということ。悲しみに暮れたロミオは遺体安置所でジュリエットを見て(実際には仮死状態)、そのまま服毒し自ら命を絶ちます。
仮死状態から目覚めたジュリエットが目にしたのは、息を引き取ったロミオの姿。
それを見たジュリエットもまた、自ら命を絶ちます。

そして、この二人の死により両家は今後平和に暮らしていこう…

と決意し、舞台は終わります。

 

同様に死を迎えるファントム

『ロミオとジュリエット』の波乱感すごいですね。
再び二人が会えるはずだったのに、歯車が狂い二人は死の世界に旅立つのですから…。

 

この『ロミオとジュリエット』が「悲劇だったのか?」という考察のため、もう一つ同じく結末に死を迎える演目について…それは『ファントム』

『オペラ座の怪人』を基にしたミュージカル。

オペラ座の地下に住む仮面を被った男ファントム(エリック)…彼は生まれつきの醜い顔を隠すために、仮面を被りそしてオペラ座の地下に潜み続けています。

母の歌声に似たクリスティーヌとの出会いで心惹かれ彼女を想いますが、ファントムを追う者たちに捉えられます。

そして「生け捕りにされるくらいなら」と、捉えられたファントムは実の父親に「撃ってくれ」とお願いし、そして父親は銃でファントムを貫きます。
命尽きる直前、クリスティーヌはファントムの仮面を外し、素顔の彼を見つめ…ファントムは愛しいクリスティーヌの腕の中で死を迎えます。

 

愛に包まれて死ねる幸せ、ファントムは幸せだった

死を迎えてしまうファントムですが、きっとそれは幸せなものだったのではないでしょうか。

そう考える2つのポイントがあります。

 

それは、

  1. 自らの死に際を選べた
  2. 愛の中で死を迎えられた

こと。

 

自らの死に際を選べた

例えば、宝塚歌劇のお芝居では他にも登場人物が命を落とす作品が多々あります。
特に、革命時代のものや、日本物でも江戸時代(幕末)では戦いの果てに命を落とすこともしばしば。

その時は「生きたい」「愛する人の元へ帰りたい」という気持ちがあっても戦いでの死は避けられない…悲しみとなります。

しかし、ファントムの場合(捉えられたにせよ)は、自ら死を選びました…戦死とは違い、死に際を選べたんです。
捉えられた瞬間は「生きたまま捕まえろ」ということだったのですぐに命を奪われることはなかったのに、です。

 

愛の中で死を迎えられた

そして、ファントムは自ら死を選んだことによって、もう一つの幸せを手にするができました。

それは、「クリスティーヌの愛を知る」ということ…。

 

自分の顔を見て逃げ出したクリスティーヌ…ファントムは「気持ちはわかる」としながらも、おそらく愛し…そして信じたクリスティーヌがそのような行為をしたことに深い悲しみを覚えたはず。

 

しかし、ファントムが撃たれ意識が途絶えそうになる中、もう一度自分の顔と正面から向き合ってくれた。

愛するクリスティーヌの瞳の中・腕の中で、ファントムは一切の悲しみ消え、満たされた気持ちだった…..最後のファントムの安らかな顔からもそのように受け取れます。

 

多くの死がある中で『自分でタイミングを決められる(覚悟する)』だけで特別なのに、『愛に包まれ、愛する人に抱かれたまま』死へと向かうことは、誰しもが到達することができるわけでない究極の命の終え方ではないでしょうか。

 

ロミオとジュリエットもまた愛の中で死んでいる

さて、前置きが長くなってしまいましたが、それが幸せだとするのであれば、ロミオとジュリエットもまた愛の中で死んでいる…つまり、幸せな命の終え方であったと、考えます。

 

一見、絶望のストーリーで悲劇的なロミオとジュリエット。

ロミオ側だけで考えても「自分の親友の命が奪われたうえに、敵対家の一人を殺めてしまった…街から追放されるのも辛いのに、唯一の希望である愛するジュリエットの死を聞かされ、自ら命を落とす」というこれだけで絶望感がすごいです。

 

しかし、タイトル通り『ロミオ』と『ジュリエット』の愛(人生・死)を考えたら「悲劇と言い切れないでのはないか」と思うのです。

なぜなら、二人は「愛を知りながら(愛を抱きながら)自ら死へ向かった」から。

 

ロミオは、安置所で横たわっているジュリエットを見て(天国で会えるように….)ジュリエットだけ最後まで愛するように…。

ジュリエットは、仮死状態から目が覚めたときに愛する人の亡き姿に絶望し死を選ぶ(強すぎる愛がゆえに)…。

 

もしもの話ですが、二人が何事もなく結婚して普通の生活を送っていたとして…”死は苦しくないものか”、そして”愛は残り続けているのか”…と、少々ネガティブですが、そんな想像をしてしまいます。

 

未来はわかりません。

でも「今、大切な人を一人だけ想い、愛しながら人生を自ら終える選択をしたこと」というのは、『ロミオ』と『ジュリエット』の立場から見たら悲劇ではないのかな、と感じました。

 

さいごに

愛・幸せ・死といった概念。

きっと人それぞれの価値観があると思います。

もちろん僕の価値観が正しいわけではありませんし、もしかしたら同意してくれる人もいるかも…。

 

もしもこれがきっかけで、読んでいただいた方の心の中でも意見とか想いの気付きがあればちょっと嬉しいかも(笑)

 

というわけで今回は、『ロミオとジュリエット』から、ストーリーではなく主役二人の観点から「恋愛悲劇とはいえない」「愛と幸せな死」について考えました

読んでいただきありがとうございました♪
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