宝塚歌劇を観るとき、やはりヅカ男子らしく(?)男性目線で観ることが多いんですよね。
例えば、心理状況とか選択に迫られた際の決断とか…
「自分ならこうするな」とか「この行動かっこいいな」みたいな。
男役スターの方々(そしてその役)に憧れますが、やはり同性意識の方が大きいのです。
その中で、名作『エリザベート』を観ていると、トート閣下の恋愛について色々と重ね合わせてしまうんですよね(笑)
今回は、『エリザベート』よりトート閣下を通した恋愛論について綴ります。
一途な恋愛!?トート閣下のシシィ愛
画像出典:エンタメ特化型情報メディア スパイス
一途すぎるトート閣下!!(笑)
シシィ(=エリザベート)がトート(=死)と初めて出会う……死を初めて意識したのは、少女時代に遊んでいたところ落ちてしまい生死の境をさまよったとき。
冥界に送られたシシィに命を返したトート…その時のシシィはトートの存在を認識し、そして感謝の気持ちを伝えられます。
(ここでトート閣下はシシィへの恋に落ちたのかな?笑)
それ以来シシィはその存在を忘れていたわけですが、結婚式を終えた幸せ期後に再会。
トート閣下のシシィへの眼差し。
そうそれは、ずっと恋い焦がれていた人へ、ついに出会えたという心の奥底からギラギラと感じさせるほど。
きっと十数年越しの愛なわけじゃないですか…一途すぎますよ。
何が何でもシシィを手に入れたいトート閣下
そして事あるたびに、シシィの目の前に現れるトート。
もうね、シシィ大好きじゃないですかん
「死へと誘いたい…シシィ、俺の元へ!!」
なんていう感情がだだ漏れなわけですよ。
劇中歌『最後のダンス』でも、
最後のダンスは俺のもの
お前は俺と踊る運命最後のダンスは俺のもの
最後に勝つのは この俺さ
と、もう自信ばりばりの俺様具合。
何が何でもシシィを手に入れてやるという気持ちが溢れているわけですよ。
追いかける恋愛のほうが楽しい?
と、トート閣下のシシィへの好き好き具合はめちゃくちゃ伝わりますが、一方通行の片想い。
それが何十年と続いています。
まぁ、トートからすると(死という概念なので)もしかしたら時間軸はないのかもしれませんが、その果てしない時間の愛はとてつもないものが。
「ずっと片想いなんて辛くないのかな?」と考えていたのですが、確かに追いかけ続ける恋愛が楽しいっていう人、と人間の恋愛でもいるよなぁ…と、ふと想いました。
たしかに追いかけ続けても振り向いてもらえない(避けられる)というのは辛く寂しいのはあると思いますが、自分が愛した人に対して自分の好きなように(?)アタックし続けられるというのは、自分の欲望に素直に動けている(=自己をコントロールできている)からこそ、楽しく感じられることもあるのかな、と。
まさしく追いかける恋愛を実践し続けているトート閣下。
『エリザベート』からトートの恋愛視点で観てみましたが、あなたはどんな視点で観ますか?笑
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