宝塚歌劇について今までいくつか綴りましたが、ふと思いました…
書いていること、記事見ている人宝塚について知ってること前提やん!?
って…ってことで今回は宝塚歌劇の基礎の基礎について綴りたいと思います。
関西と関東の二つの拠点で公演行うエンタメ集団
さてさて、宝塚歌劇団とは女性のみで構成される演劇集団でございます。そして、運営会社はなんと阪急電鉄株式会社!!(日本を代表する大企業でございます…)
宝塚歌劇団に所属する生徒(宝塚では所属する役者のことを”生徒”といいます)さんは、「花組」「雪組」「月組」「星組」「宙組」にそzれぞれ配属され、演劇に励みます。
そして、その演劇…兵庫県宝塚市にある「宝塚大劇場」、そして東京都千代田区有楽町にある「東京宝塚劇場」の二大劇場を拠点に先述の5組が、順番に上演をしております(ファンの間では、兵庫県の方を”ムラ”、東京の方を”東宝”なんて表現をします)
※この二大劇場に加えて、「宝塚バウホール」という小劇場や、その他の劇場を借り全国ツアー等の公演を行っております。
宝塚歌劇の誕生 – 実業家・小林一三 –
先述の二大劇場…数ある劇団でも、実は一つの劇団が劇場を持つこと自体稀なんですよね。
ましてや、宝塚歌劇は養成学校や、座付きの演出家やオーケストラ、舞台装置・衣装などの技術スタッフなど、舞台上演に関わる全てを自前で持っているのです。半端ない……….
この半端なさ…そもそも設立の時点で、実業界の天才”小林一三”が関わっております。
小林一三とは現在の宝塚歌劇の運営母体である阪急電鉄株式会社(阪急阪神東宝グループ)の創始者でございます。阪急阪神東宝グループの創始者が、宝塚歌劇の創始者なのでございます!
なぜ、宝塚歌劇を作ること思ったのだろう…?
答えは、都市開発にございます。
宝塚歌劇のルーツは、デパートの目玉企画!?
小林一三は、三井銀行にした後、退職をして箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)の創設に携わることになったのですが…実は前途多難なプロジェクトだったわけでございます。
というのも、名前の通り”箕輪”を終点とした沿線企画だったのですが、余裕がなく”宝塚”が終点に…しかも当時の宝塚市は温泉地がいくつかあるだけで、あとは田園地帯…田舎なわけでございます。
で!!、お客さんを誘致する施設として、小林一三は宝塚新温泉を設立しました。
小林一三はここを総合娯楽施設化することを目指し、プールをさらに増設したのですが、これまた万事うまくいくわけでなく利用者は少なく終わりました…(悲しみ)
しかし、小林一三はただでは倒れない….そのプールの水を抜いた水槽を寄席と見立てて博覧会を催すことを考えました。
その余興を行う集団として、少女たちによる唱歌隊を結成したのが、宝塚歌劇の始まりなのであります。
現代でいうと、デパートに人を呼ぶためにアイドルの企画を行う…そんな構図でございます!
こちらが宝塚発祥のダイジェストです…これからも基礎知識について綴っていきたいと思います!
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